テツガクのヒトシズクのウラバナし
“なじめないもの”とどうしようとも、その人がいいと思えたことが
きっと、「いい」のだ。
なんでそう思えるのかといえば、自分なりに人それぞれ、“なじめない”と
思えるものとつきあえない場合がどうしてもあるというのが、わかって
いるから・・・
そして、自分も、食べ物以外ではかつてはそういうものがあったら、すぐ
投げだしたり、やめようとする性質(たち)で・・・
ただ、たしかに“やめる”と、様々な「マサツ」がなくなって、
楽になれる。
楽なのだけれども・・・ そうすると、何(なに)とも接することが
できなくなるし、
リョウケンも、つまりは「視野」みたいなものも、狭くなるのでは
ないか。
そういうこともあって、今は、たしかにそれに付ズイする様々な悩みや
苦しみはつらいけれど、
そういうので悩んだり苦しむのも、それだけ強くなれて動じなくなったり
なれることもあって、悪くはないんだろうし、
ひきうけても、いいかな・・・
・・・とは おもいはじめているけれど・・・
やはり、「キッツーーー!」なぁ・・・
悩んだり、苦しんだりするの。
なんか、冷水をあびたり、超ニガい
正露丸みたいなくすりをガブ飲みすることより
すごく、ツラい気がしちゃうんだけど・・・
でもまぁ、
そういうのに慣れていかなきゃ、いけないん
でしょうね・・・
“がんばり”ましょ!
お互い。
(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.