テツガクのヒトシズクのウラバナし
「めんどくさい」のはやはり、嫌ですよね。
でも・・・ 生きることじたいが、「めんどくさい」
んだけど、こうして、生きてこられている。
それは「めんどくさい」んだけど、生きなくてはいけない
から、死ぬのも嫌だからということで、
めんどくさいのを越えることができているんじゃないか。
他者に対する「めんどくささ」もそんな風に、
思うことはできないものなんでしょうか・・・
たぶん他者のことを自分と“密接なもの”として
とらえられないからなんでしょうけれども・・・
でも他者がいなければ、自分も、存在しえない。
それをそれぞれ、何らかの大きなきっかけでもおきないと、
わかるのはきっと、むずかしいんでしょうね・・・
だからこそ、
大切なひとたちも、そして
誰かにとって大切な自分でさえも、
死ぬ。
その為にも、命に限りが、あったりするんでしょうかねぇ・・・?
(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.