テツガクのヒトシズクのウラバナし
生命としての真価が問われるのは、
「無」の状態に、なったとき。
だとしたら、
これは、惑星だけでなく、すべての
生命にいえることなのかも知れません。
人間が「無」の状態に、なった時。
つまりは「悟り」を開き、この世の真理を
理解する瞬間。
それは、「死」の時であるとは限らない
のかも知れないけれど、その状態を経れば、
いやがおうにも「ありかた」が、かわらざるを
得なくなるだろう。
その時、どう、ありかたがかわるのか。
それによって、その存在の、
生命としてのステージの位置が、
決まってくるのだと思うし、
「わかる」ものなのでは、ないでしょうか・・・
(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.