テツガクのヒトシズクのウラバナし

ヨーチャング研究所
YO-chang Kenkyu-syo
太陽、というのは、

私たちがみる分には、
東から西へと移動してしかも、

 朝やけ → 昼 → 夕やけ → 夜

というぐあいに“変化してみえる”から、
なんか自分たちの一日、つまり

朝おきて、活動して、そして夜にねる。

というのとダブってみえるけれど、
でも実際は太陽って、動いてない ――――――

 “変化は、してない。”んですよね ―――――――――


 地球がまわっているとか、光のカゲンとかで
 そう、みえるだけで。



 だとしたら、私たちの一日、というのも、
 そして「私」というものも、実は、
 「変化」にとんでいるようにみえたとしても、
 “変わらない”もの ―――――――――――――――

  なの、かなぁ?  うまくいえないけれど。





 だから、
私たちの一日のすごし方が、私のあり方が、
心にしろ体にしろ、かわっていったとしても、

ひいてはどんなに私というものが、いろいろ
ちがってみえても、
いろんな状況とか、ひとによって“ちがく”
私のことがみえたとしても、

私が「私」であることに、“変わりはない” ――――――


  私は、「私」、なのか。




  それが強く強くわかっていて、ゆるがないから
  こそ・・・

  太陽はあんなにも、他を圧倒させる位
  “光り輝いて”も、いるんだろう、か −−−−−−−








(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.

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「太陽の一生」