テツガクのヒトシズクのウラバナし

ヨーチャング研究所
YO-chang Kenkyu-syo



カブトガニのように、自分以外のが「おぶさっている」
というのは、マイナスとは限らず、

 むしろそれが、「本質」なのだ。



というかき方をしましたが、

 と、いうことは ・・・


 自分も誰かに、「おぶさって」、
 誰かに、何らかの影響を、与えている。



つまり、誰かが自分に「おぶさって」
いやだとおもうのならば、
そういうおもいを、誰かにも
させてしまっているかも、知れない。


 しかも、それが、「本質」なのだとしたら
なおさら、

 いくらやだとおもえてもそこからはのがれられない。

  のだとしたら、

 “何かが”、かわってくるんだろうし、
  かわらざるを、えないだろう。





 でも、それにさからおうとしてしまったり、
「自分だけ」がおぶさられていやなおもいを
していると、とかく、おもえてしまうんですよねぇ ・・・



 しかし、そうやって
自らをつらい方向に追い込むのが、人間。
なのだとしても、

だからこそ、
そこにはきっと“光”も、ある ――――――――――



 そしていつか、人間全体が気づけるときがくる
可能性を、同時にそのことは、示しているのかも
知れませんね。

















(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.

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「カブトガニ」