今回のテーマは、「三葉虫」です。
<別枠>
“話の一滴”の“ウラ” テツガクのヒトシズクのウラバナし
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<内容>
○“なげかけ”
○三葉虫について
○三葉虫の特徴
○三葉虫の果たした“役割”
○“なげかけ”の「こたえ」
≪参考文献・資料≫
○テツガクのヒトシズク
(主にテーマの<内容>から
独自のテツガクを展開させてゆくコーナーです。)
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○“なげかけ”
---- 三葉虫はなぜ、そういう名前なのか? ----
つづきは、後ほど・・・
○三葉虫について
三葉虫は昆虫やエビに似た節足動物に属し、三葉虫綱を構成する海生の化
石動物で、約5億4200万年前の古生代カンブリア紀のはじまりとともに
出現、最初の約1億年間に爆発的に多様化する。
しかし約4億4400万年前の古生代オルドビス紀末に、科レベルで30%
がいっきに絶滅、次第に数を減少させ2億年経過の後、古生代ペルム紀末
(二畳紀)に完全に絶滅したと考えられている。
その原因は、活発で大型の肉食生物からの捕食や、衰退時期に繁栄した魚か
らの捕食などが考えられる。
ダンゴムシのように節が多く、わらじのような姿が一般に知られているが、
1500属1万種と種類が多く、様々な形態をしている。
そして時代を限って生育し、化石となっていることから、地層の新旧を判
別する至準化石(付録参照)として重要なものである。
地層の中からは時折、左右対称の細かい引っかき跡が見つかることがあるが、
これは「生痕化石(せいこんかせき)」とよばれる三葉虫の這い回った跡の化
石で、この「生痕化石」や体の造りから、海底を這い回っていたことが実証
されている。
しかしある一部のものは、広い範囲をみわたせる個眼をもつことから水中を
泳いでいたと考えられる。
また完全な化石から、バラバラになってしまってなかなか残らない一対の長
い触角と殻の裏側の節ごとにある一対の脚の存在がわかるとともに、その脚
が全部同じ形であることから、海底の泥の中の栄養分を食べていたと考えら
れる。
(ちなみに出現当初からより大型の動物に襲われ、捕食されていたらしく、
その化石には、捕食者にかまれた跡などが残っているものもある。)
○三葉虫の特徴
体は偏平で、1〜10センチメートルのものが普通であるが、中には70
センチ〜1メートルの大きなものもいる。 4〜6センチメートルのものが
多い。
キチン質で覆われていて、背面は硬く、背甲となっている。
頭部は一般に半月形で、そこに種類によって様々の複眼がある。
例えば一対の複眼、巨大な複眼、眼がつながり頭前面を覆うもの、複眼の大
きな個眼、暗いところにいたため眼が退化したもの、などである。
眼の横の細い線は脱皮の際に殻が割れる線で、化石を見るときにはその線の
部分で殻が割れているかどうかで、その化石が脱皮殻なのかどうかが見分け
られる。
また三葉虫は生命史上で最初に複眼の目をもった生物群の1つとされ、ほと
んどの生物が明暗の区別しかできなかった時代に、複眼によって立体的に物
をとらえることができたとも考えられている。
胸を構成する各節は可動で、体を二つに折り曲げたり、環節部で球状に折
り曲げ硬い甲と棘で外敵を防いだり、ダンゴムシ、ワラジムシ、アルマジロ
の防御に似た行動をとったと思われる。
尾部の各節は癒合して尾板を形成するが、尾部にもさまざまな突起や棘があ
る。
同じ種では雌の方が大型で、雄は小型と考えられる。
変態発生と体制上からカブトガニやクモ類に近いものと考えられているが、
個体発生の研究から原始的甲殻類との類似が知られるようになった。
○三葉虫の果たした“役割”
三葉虫の出現と繁栄はある意味“革命”をもたらしたといえよう。
先カンブリア紀末、海底は粘液状のバクテリアで覆われていたので、ほとんど
の生物は海底の表面付近で生活していた。
しかしカンブリア紀になると、三葉虫などが海底の泥をかき混ぜ始めたことか
ら、バクテリアマットがほとんど消滅し、海底で横たわって生活するものが減っ
た。
それに代わってその“泥のかき混ぜ”が、中まで酸素をいきわたらせたことか
ら泥の中で生活するものが増え、海底の生態系に変化をもたらすことにつながっ
ていったようである。
○“なげかけ”の「こたえ」
---- 三葉虫はなぜ、そういう名前なのか? ----
三葉虫の名前は、一般にいわれているのは、その体が「中葉」とよばれるま
ん中のもりあがった部分、そしてその両側の「側葉」とよばれる部分と三部分、
つまり「三葉」から成りたっていることに由来している、ということである。
≪参考文献・資料≫
古生代の革命家・三葉虫 重田康成 著 カハクニュース第434号 2005.10
日本百科事典 平凡社 2000.12
図解 動物観察事典 岡村はた 他著 地人書館 1986.9
恐竜たちと遊ぶ1時間
朝日文庫さ18-1 佐貫亦男 著 朝日新聞社 1994.2
三葉虫の謎 リチャード・
フォーティ 著
垂水雄二 訳 早川書房 2002.9
ニュートン2006年2月号 ニュートンプレス 2006.2
○テツガクのヒトシズク
三葉虫というのは実に
沢山の種類がいて、その数、
「1万」だという。
しかも、きっとポピュラーなのは、
偏平でぞうりとかわらじとか、
ああいう形をしたのだと思われる
のだが、
中には、「えっ、これ、三葉虫?」
というような、貝に入ったものも
いたりする。
まさに、今の生物、殊に
海洋生物のキソというか、縮図
だと、
その種類をみてみると思えて
ならないのだが --------------------
そこで、
「え、これ、三葉虫?」
といくら思えても、
違うものとしか、どうみても
思えなくても、
同じ三葉虫に変わりは、ない。
と、いうことは・・・
人間だって、
「え、これ、・・・?」
と、
いくらそう思えなくとも、
認められなくとも、
同じ「人間」だ。
そういうこともある。
そして、
自分、というものの中だって・・・
「え、これ ・・・?」
と思える、
同じ自分とは認めたくない部分が
あったりする。
「認めたくなくても、同じ」。
「違うけど、同じ」。
「違う」「同じ」。
どこをみてそう、いうのか?
例えば、
自分、というものでいえば
ある人間について、
その人が自分と信じている面は
「おだやか」という部分だけど、
その中に、「凶暴」という
部分があることに気づいた時、
たしかに両者の性質は、
性質のみでみると、「違う」もの。
でも、それは両者とも、
その人の「性質」という点では
ちょっとうまく説明できないが
「同じ」だ。
“でどころ”が「同じ」というか・・・
ということは・・・
みんな、すべてをもちあわせている。
“三葉虫の多様な種類”のように。
ただ、もっていることに気づいて
なかったり、ある面が強かったり
弱かったりするだけに、すぎなくて。
そんなものなのではないか?
ならば、
自分の未知なる部分に“遭遇”
してしまったとしても、
それは、「異常」というよりは、
みんなもってても気づいてない
だけの話で。
おびえることは、なくて -------------------
そういう、自分が受け入れがたい
面を、逃げずに、認めること・・・
その面から逃げずに、ただ
認めれば、不必要に怖くも
なくなるのか・・・
でも・・・
たとえば急に「化け物」というか、
得体の知れないものがでてくると
有無いわず、
「やっつけよう」としてしまうのが
人間というか、生き物の性、
というか・・・
そこを、いかに「コントロール」
していけるか ------------------
得体の知れないものに“脅かされる”
恐怖を、いかにしてコントロールし、
対応していけるか ---------------------------
そうできるならば、
「違う」というその意味さえも、
変わるものなのではないか・・・
ひいては自分がいくら他とは「違く」ても、
堂々とカッポできる心で、いられるのでは
ないか。
「違う」ことを、誇りにできる世界。
そのきっかけを示しているのが、もしかしたら
三葉虫の種類の多さ、なのではないか?
それはつまり、
三葉虫が、わざわざ種類を多くしてまで
示そうとしたこと、なのではないだろうか。
では、
いかにしてその恐怖をコントロールして
いくのか。
それが、生物 ----------特(こと)に
人間の課題とするところといえるかも、
知れない。
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“話の一滴”の“ウラ” テツガクのヒトシズクのウラバナし
(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.
