“話の一滴(ひとしずく)”の“ウラ”
●鉄砲伝来については古いことなどから、いろいろな疑問がある。先輩諸氏が
種々研究されてはいるが、例えば、伝来の時期についても確定はしていないよ
うである。そこで鉄砲に関することで、ここでは 二つの相異な論説を列記し
てみた。どちらが正しいかは簡単に判断はできないが、疑問の提起としてとど
めたい。
<第一論説>
米国のダートマス大学ノエル・ぺリン教授が、日本史に学ぶ軍縮というサブ
タイトルで、「鉄砲をすてた日本人」という本を出版した。この本が扱ってい
る日本史の舞台は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代で、著者はこの時代
に着眼して、日本人は鉄砲をすてて従来からの刀に戻ったという。世界に類例
のない日本の武器の歴史にかんがみ、著者ぺリンは、今日人類が抱えている核
軍縮という難題への活路を見い出している。この本は欧米ではベストセラーに
なった評判の本とのことである。
<第二論説>
これに対して、「鉄砲と日本人」鈴木眞哉著が真向から反対している。鉄砲
をめぐる定説にはおかしなものが多々ある。「江戸時代の日本人は鉄砲を捨て
てしまった」というのもその1つである。江戸幕府は統治の必要上から鉄砲を
きびしく規制したので、鉄砲は忘れられた兵器となったという外国人学者や、
幕府が鉄砲を規制したのは、刀剣に対する崇拝の念によると主張する者もいる。
しかしこのような説には必ずしも実証的な根拠はなく、むしろその反対の証
拠がある。
刀剣崇拝云々に至ってはとんでもない見当はずれで、日本人、ことに武士階級
が刀剣に対して鉄砲に対すると全く違う感情をもっていたことは事実だが、そ
れで鉄砲を排斥したのではない。新来の武器である鉄砲に偏見を抱く者がいた
のは、日本固有の現象ではなく、ヨーロッパの方がむしろはなはだしかったの
ではないか。日本人の鉄砲好きは、鉄砲の機能に対するもので、徳川幕府の
200年以上の太平が続く間、そうした感情が沈潜させられていたことは事実で
ある。しかしそれが再び鮮明な形で現われてくるのは幕末維新の動乱期まで待
たねばならなかった。日本では平和だったこの期間もヨーロッパでは戦乱が続
いていたから、小銃もあれこれ改良されて新しい形式のものが次々と生まれて
いて、それがどっと輸入されて来て、従来からあった和銃(火縄銃)と合わせる
と大変な数の鉄砲が日本国中にあふれたことになる。
こうなれば戊辰戦争が銃撃戦主体で戦われたのも当然だが、この戦争を戦った
のは、大部分が武士階級だった。彼らが本当に鉄砲を軽蔑していたら、こんな
現象は起こるはずもない。同じことは西南戦争で頂点に達する士族反乱につい
ても言え、火器を利用しようと努めている。
論者のなかで士族たちが鉄砲を蔑視してひたすら刀剣に依存していたと主張
している人もいるが、これが当てはまるのは熊本で決起した神風連(しんぷう
れん)くらいのものである。
(C) 2007 YO-chang Kenkyu-syo.
ホンの、一滴。