“話の一滴(ひとしずく)”の“ウラ”
日本国内の縄文・弥生・古墳の各時代の遺跡から、ヒスイで作られた勾玉
(まがたま)や大珠(おおだま)など玉(ぎょく)類が多く発掘されることは江戸
時代から知られていたようです。
しかし昭和初期まで、考古学者たちの多くは、日本の遺跡から出土するヒ
スイは大陸から渡来したものと考えられていたようです。
その理由は、日本国内ではヒスイの産地が発見されていなかったことによ
るようです。
1939年(昭和14年)に東北大学での研究により、新潟小滝産の緑色鉱
石がヒスイであると論文発表されました。
しかし当時は戦争混乱のときで、1941年(昭和16年)、考古学雑誌に日
本産ヒスイの発見が紹介されました。
そして日本で未発見だったヒスイが巨大な転石としていくつもみつかり、国内
全般に知れわたるようになりました。
こうして現代では、日本で出土するヒスイは新潟県糸魚川・青梅地域の生
産とされるようになったのです。
× × ×
現代までで、日本から産出する鉱物で、宝石・貴石として扱えるものは、
ヒスイだけといっても過言ではないようです。
ただ 残念ながら日本産のヒスイは商業用に採掘されてなく、主として転石
などで発見されたものです。
したがって市場にでているヒスイ宝飾品はほぼ、ミャンマー産です。
中国では古くから軟玉(なんだま)を使う文化であり、13世紀頃からミャン
マーのヒスイが持ちこまれ、13世紀清時代にミャンマーの産地が発見されて
から、中国ヒスイ文化が開花したと考えられます。
世界的には、中米オルメカ文化、マヤ文化で盛んに使われたヒスイは、
16世紀初めのスペイン人侵略以降は忘れられてしまったようです。
これは、日本でも飛鳥・奈良時代から1939年の再発見までヒスイが消滅
したのと同じことと考えられています。
参考資料: 宮島宏『とっておきのひすい話』
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